玄関先の言葉置き場

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「まちカドまぞく」聖地巡礼レポ 2022年12月18日

 以前、シラスのこちらの放送シラス二周年!年末に作業用pcが死んだ漫画家が2022年の漫画界を振り返る!【ゲストもワンチャン】 大井昌和のコミックガタリー シラス版! | シラスで送った、「まちカドまぞく」聖地巡礼に多摩市を訪れた際のレポがあったのでそちらを載せます。

 本文はおたよりがそのまま載っているため文脈がわかりづらいと思うので一応補足をすると、自分はこの時多摩市への聖地巡礼は2度目の訪問で、放送内でもコメントで(コメントでしかないのに)たびたび「まちカドまぞく」について熱く言及していた自分が、さらに作品について考えていることをまとめたおたよりです。すごいわかりにくい気がする!つまり、放送の中でcaramelがまちカドまぞくに熱いヤツという前提があって送られているおたよりです。ただのファントークではなく、「まちカドまぞく」と「耳をすませば」がどう違っていて、それどれどう良いのか、みたいな話をしようとしている内容です。

 ちなみに多摩市への一度目の訪問は2022年5月5日、今回の訪問は2022年11月27日です。一度目は2022年5月5日のゲンロンカフェイベントに行った際に、2度目はひら☆マン同人誌が販売されたコミティア142に訪れた際にそれぞれ立ち寄りました。

 

おたより本文


 大井さんこんばんは。先日の年末オススメサブスク回の紹介からさっそく「Mr.ノーバディ」を見て、最近私生活があわただしかったこともあってか「頭を空っぽにして見られる作品のなんと助かることか」と思ったガタリストネームカラメルです。(意識が低いことって休息を欲しているときは本当に必要ですね。)
 さて今日のお便りですが、番組の進行と全然関係ない中身で恐縮ですが、以前11月27日のコミティア142に行ったとき、実はまたしても、まちカドまぞくの聖地である多摩市聖蹟桜ヶ丘に行ってきたのでそのルポです。(以前ゲンロンカフェのまんが道イベントの際に同じ場所に行って以来、2度目の聖地巡礼です。)
 少し突拍子もない話ですが、今回の話は同じ多摩市を舞台にする「まちカドまぞく」と「耳をすませば」が同じ場所を舞台にしていてもずいぶん描く内容が違っていることに現地に行って気づいた、という話です。

 今回の巡礼では、聖蹟桜ヶ丘の有名なスポットであるいろは坂に上りました。いろは坂は頂上までの中腹に公園があって、そこから街を一望することができます。この景色がなかなかきれいで、実はこの場所は映画「耳をすませば」の聖地でもあり、有名なクライマックスで 雫と聖司が朝焼けを眺めるシーンとよく似た景色があります。
 その場所に立って気が付いたのですが、「耳をすませば」の中で二人が眺めるのは聖蹟桜ヶ丘駅という京王線の駅で、現実の公園から見える景色としては真正面よりも少しだけ右手の東寄りの場所をカメラで抑えていることになります。もっというと、東側を映すということはこの物語での関心が都心に向かっていることに符合しているように思えます。
 一方、実は同じ場所から左手を見ると、アニメ「まちカドまぞく」でもモデルとして登場する小学校が見えます。小学校の奥にはちょっとした小高い山が見え、ちょうど今回訪れたときは紅葉がきれいでした。実は「まちカドまぞく」は奥多魔に行ったり土手沿いを街はずれまで走るエピソードがあったりして、どうやら現実の多摩市の中でも西側の方を中心として物語が進んでいるようだ、ということが今回の聖地巡礼でわかったことでした。
 とはいえ、実は「まちカドまぞく」の作者の伊藤いづもがインタビューで”まちカドまぞくで出てくる景色は自分の故郷の唐木田聖蹟桜ヶ丘から南西の方角のさらに山あい場所)をモデルのイメージにしている”というように多摩市よりもさらに西側をイメージとしていることは証言していて、町の西側を物語のイメージの中心においていることは考えてみればわかることなのですが、ただ、現実に街を一望したときに、「まちカドまぞく」の中心となっている場所が町のはずれ、それも西側のより奥まった場所にあって、意識しなければそもそも存在を認識すらしないような場所にあることに驚きました。
 もうちょっとここで書きたいことに沿っていうと、「耳をすませば」は関心が町の東側・都心に向かっていて、それは町を一望すれば観光客などでも理解できるようなわかりやすい関心の持ち方なところが、「まちカドまぞく」が町のはずれを舞台にしている。これは町に住んでいる現実の人を意識しないとなかなかできない関心の持ち方だと思います。簡単にいうと「耳をすませば」の町への関心は町を見ているようで見ていないというか、どこか浮ついている一方、「まちカドまぞく」の関心は地に足がついている、と現実に街を一望したときに思ったのですね。
 「まちカドまぞく」について解説すると、ある側面からこの作品を語れば、多魔市(※多摩市をもじった作中の舞台)での因縁の中で家族を失った魔法少女が元々その町で生まれてその町で育った主人公とのかかわりのなかで精神的な回復を得ていく(そして魔族と魔法少女という、本来敵対するはずの二人が友情を確かなものにしていく)という物語として読める作品です。その「家族」を描くという関心に対し、現実のモデルとして街のはずれが選ばれていることはなにか深いというか、「まちカドまぞく」がファンタジー要素が強い作品にもかからず、地に足が付いた感じがあることとつながっていると思いました。それが今回のおたよりで言いたかったことです。
 ここから先は蛇足的ですが、今作のヒロイン魔法少女の千代田桃は高級な住宅に住んでいて主人公はボロアパートに住んでいるという設定(これは一話の終わりに出てくる設定)なのですが、実はいろは坂の頂上まで登って辺りを散策したわかったのですが、このいろは坂の頂上にある住宅街は高級住宅街で、いかにも年収の高そうな家々が立ち並んでいました。作品のなかでそこまで意識しているかはわかりませんが、 もし仮に魔法少女の桃がこのいろは坂の頂上の高級住宅街をモチ-フに設定されているなら町の中のヒエラルキーみたいなもののある種の転倒を意識している節もあるかもしれない、などということも考えたりします。
 しかも面白いと思ったのが、「耳をすませば」で有名なおじいさんの経営する喫茶店のような場所のモデルの店もこのいろは坂の頂上で発見しました。つまりあのお店って高級住宅街にある意識の高い感じのお店のようなのですね。だから、「なるほど、『耳をすませば』の誠司は町の中でも高級そうな場所に入り浸りそしてヨーローッパに旅立つめっちゃ意識が高い奴だったのか」と思ったとともに、まちカドまぞくの場合では意識が高いこと (魔法少女としての活躍) に苦しむ魔法少女のヒロインが、むしろ魔族に堕落を迫られ意識が低い場所へと落ちていく(そして結果的に魔法少女として復活していく)話なこととも対照的なんだな、などと変に感心したりもしています。
 すみません長くなりましたが、以上聖地巡礼のレポでした。自分ではなかなか面白い話だと思ったのですが、いかがでしたでしょうか。

P.S
添付写真は一枚目がいろは坂の写真、二枚目がいろは坂の中腹にある公園から正面を撮った写真です。(どちらも放送に載せてもらってokです。)