玄関先の言葉置き場

主にひらめき☆マンガ教室の感想用。メッセージ等はおたよりフォームへいただければ、配信でお返事します。

ひらめき☆マンガ教室の感想とベストハンドレッドをやってみて感じていること。

 時間がない中書いているので乱雑な部分はお許しください。その後誤字や表現など細かい修正をしました。(2023/3/14)

 「大塚式☆ベストハンドレッド ひらめき☆マンガ教室第5期」という企画を2023年2月にやって、ちょうど一か月くらいたつ。自分が一年間付き合っていた作品群が最終講評回をすぎたらおそらくほとんどの人には読まれなくなってしまうのだろう、という寂しさがあって奮起してやった企画だったが、当初自分が思っていたよりもずっと受けが良かったので、その後ずっとなぜ受けがよかったのか不思議に思って考えている。

 自分の中で考えがまとまりそうなのでこうして書いているのだが、結論から言うと、ベストハンドレッドが受けたのはテンポがよかったからではないかと思っている。普段、感想配信と言ってひらめき☆マンガ教室の課題作品にコメントをするときは、正確に測っていないがおそらく15分程度かかっているはずだ。ベストハンドレッドは9時間で100作品話したので、一作品につき3.6分。およそ4倍くらいの差がある。4倍くらい速いスピードでやると人は、細かい部分のストレスなどがあまり気にならなくなるのではないかと思うし、実際やっている方も、なんだか気が楽な部分があった。
 このベストハンドレッドの時のリズム感は、実は自分の配信「ひらめき☆ゲリララジオ」の中では「感想を読む!」がそういう企画になっている。こちらはもう少しゆるい企画で、ひらめき☆マンガ教室に送られている感想をひたすら読むだけの配信だが、ただ、膨大な量の文章を読む中で省略が発生し、その中で恣意的に文章が選ばれていくことのもつリズム感のよさがあるように自分では思っている。
 このベストハンドレッドと感想読む!の二つに共通しているのは、一対一式ではなく多対一式でものを読むという態度だ。自分で書いた感想の文章を見てコメントを付けるやり方は一対一式のやり方で、そちらではなかなか上記の二つのようなテンポの良さは生まれない。この多対一式のやり方が、自分でも思いもよらない形で、結果的に人に面白がってもらえる形になったのではないか、というのが僕の見立てだ。
 ただ、では、一対一式の、つまり感想を書いてそれに「真面目」にコメントを付けるやり方の方が劣っているのかというと、それはそうではないと思っている。もしかしたら作品を読んで瞬時に形ある感想へとたどり着く能力が備わっていればそれでも行けるのかもしれないが、自分の場合はまだまだその能力はない。それにそうでなくとも、もしベストハンドレッドのようなことをする場合、つまりそれはランキングをつけたり、作品の中の頑張りを無視したりもする、「不真面目」で失礼極まりない作品の読みなのだが、そのためにも一応真面目にコメントを付けておくことは前提として必要になってくる気がする。
 今、ベストハンドレッドを「不真面目」、感想を「真面目」と言ったが、実は、ここでいう不真面目な作品の読みこそが、世間的に言われている「批評」の本質ではないかと僕は思っている。つまり、対象の本質や成り立ちを発見してそれを面白がること、またそのように対象の面白さを見出そうとする態度が批評と呼ばれるものではないかと思う。
 一般的に「批評」と言われて人がイメージするそれは、対象に切り込んで解体し、結果として人と人とをバラバラにするようなものではないかと思う。僕もそう思っていた。でも、その認識は間違っていたと気づいたのが今回のベストハンドレッドだった。
 批評にはいろんな種類がある。中には人を平気で傷つけかねない、鋭い刃のような批評もある。僕はそれはやはり好きになれない。でも、ベストハンドレッドはバカバカしくて面白くて、楽しい。
 結論としてテンポがよかったのがよいと冒頭で書いたが、見ていて聞いていて快感があることが楽しめることの前提なのだ。人は面白いものを楽しむし、一緒のものを楽しむことで人と人とのつながりを得ることができる。そのことはマンガだって言葉だってなにも変わらないんだと、今回のベストハンドレッドには教わったように感じている。