玄関先の言葉置き場

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ひらめき☆マンガ教室の課題マンガ感想のヒント「楽をしよう」#ひらめきマンガ

 ひらめき☆マンガ教室でのマンガの感想は、おそらくみなさんが想像する以上に、さまざまな難しさがあります。実際にどう難しいのか詳細は割愛しますが、絞って3点あげればこういうことが中心にあるかと思われます。

●そもそも文章を書くのが難しい

 つまり、みなさんが小学校で書いたことがあるであろう読書感想文がそもそも難しいという話です。これはブログなどの適当な文章でいいので書くことに慣れている人なら普通は問題にはなりません。しかし、ひら☆マンのように作者という生身の人間を相手にして何かを書くとなると話が変わってきます。
 意外にひらめき☆マンガ教室のマンガに感想を送る人はそれまでにまとまった感想や文章を書いてネットで公開した経験が浅い人も多いようです。なので、感想文初心者の人が自分の文章の技術をクリアにしていくと同時に、ひら☆マン独特の具体的な人間を前に文章を書くハードルの高さとを、二つ同時に相手にしないといけない、という難しさがあります。

●ひらめき☆マンガ教室の作品が多い

 ひらめき☆マンガ教室の受講生は毎年だいたい30人強いて、その一人ひとりが毎月課題を提出できるシステムになっています。それに感想を書く場合、16pのマンガを一ヶ月に最大で30作品強相手にすることになります。実際に第6期を見ると、11個の課題に対して年間トータルで383の課題作品があったようなので、平均するとだいたい一回あたり34作品あったことになります。
 毎回の課題でこれをすべて裁くのはなかなか大変です。仮にそれらすべてに感想を書く場合を試算します。ひとつの作品当たり25分時間がかかるとすると(実際には最初はもっと時間がかかる人もいるはずです)、34作品×25分≒14時間。課題と課題の間のどこかでこの時間をとればいいのでこれを長いと思うか短いと思うかは人によりますが、しかし、かける時間が長くなればなるほど計画を立てる必要も生じるだけでなく、感想文を書くとなるとただその時間手を動かせばいいわけではなく内容を考えたり迷ったりする時間も生じるので、時間以上に体力を使うことが想像できます。

●失言と失言を気にすることへの疲れ

 ひら☆マンの感想は例年多くの作者の人が実際に読みます。すると、どうしても感想の中の失言は問題になってきます。これは感想を送る側に悪気がなくても起こってしまうことで、感想を送る場合どうしても避けられません。なぜなら、文章を書くことに慣れていなければ慣れていないほど自分の言葉の意味がわからない状態で表現をするほかなく、作品の感想の中で失言は言葉の意味がわかっていない中に確率のように混入してくるものだからです。しかし失言があった場合、その言葉を受け取る作者にとってはそういった感想の書き手の事情はわからず、その内容を作品への攻撃だと受け取ってしまうことがあることも事実です。
 実際に失言を発端にトラブルになることが問題になることもありますが、実はそのことよりも、感想での失言をどうにか避けようとすることで疲れがたまってきてだんだん精神的に磨り減って感想が書けなくなってきてしまう、ということのほうが問題です。何回か感想をかくと手ごたえとして避けるべきワードのようなものがあることが理解できるようになってミスは減るはずですが、ミスを念頭に置きながらの作業は精神的に疲れます。またミスを過剰に気にしすぎると感想としていいたいことがわからなくなって余計に手が止まるようになります。
 このことが原因で感想を書く人がだんだん減っていくのがひら☆マン感想あるあるではないかと思っています。なので、この「疲れ」の部分をなんとかして回避したい、というのがこの記事のねらいです。

 

 改めて書くと

●そもそも文章を書くのが難しい
●作品が多い
●失言と失言を恐れて疲れてしまう

 これら3点が特にひら☆マンの感想を難しくさせている部分ではないかと考えています。なんとかこれらに立ち向かって感想を書き続けるすべを考えたいところです。この記事では「無事1年間感想を続けられれば勝利」を目標にしよう、といいたいところですが、それは急には難しいので、「できるだけ楽をして一回分の感想が書けるようになる展望が持てたら勝利」を目標にします。

 

 さて、実はすべて解決する手段があって、それは「感想を短くすること」です。そうすれば基本的に上記の問題は全て解決もしくは解決の糸口がつかめてきます。どういうことか見ていきます。

 ●「そもそも文章を書くのが難しい」について
 文章化することの難しさは基本的には、段落を構成したり意味のあるまとまった文章を書くことにあるように思います。でも短い文章で箇条書きのようなものですませれば、段落はそもそも考える必要がありませんし、文章の意味のまとまりについてもより絞ることができるので一文を作ることの難しさを軽減できます。実際、僕はだいたい4文くらいを目安にして感想の文章をまとめるようにしていますがその理由は段落の構成を考えるのが面倒なことと、一文の内容をできるだけ簡単にしたいからです。
 もうちょっと言うと、これは文章が成立するミニマムなラインを見極めるための一種の文章の訓練だともいえます。短く書くことを固定して、その中で成立する文章を目指して書いていると、だんだん文章が成立するミニマムなラインが自分でわかってきます。なので、決して「一度分量を気にせずに書いてからあとでできるだけ短くしよう」とは考えないでください。それはむしろ逆効果で文章が書きづらくなるはずです。(僕も最初のほうそれで一度失敗しました。)僕の場合4文でほとんど決まりましたが最初はそれでも多いような気がします。なんでもいいですが、1ツイート分140字に収める、1行で、2文で説明する、三点箇条書きにする、など自分が無理なく書ける最低の目安を決めてから書きましょう。これを例外などを出来る限り許さないよう、より多くの感想に適応させて書きましょう。

 ●「作品が多い」について
 短い文章は当然作業量も減らしてくれますね。さっきは一つの感想につき25分で計算していましたが、短いものならたぶん10分くらいでできるように思います。すると前述のように34作品あったとしても5時間半くらいです。まだ大変そうかもしれませんが、14時間にくらべればかなり楽ですし、計画についてもさほど深く考えなくても立ちそうです。

 ●「失言と疲れ」について
 短い文章の一番いいところは、だらだらなにかについて言及することができなくなることです。実は、短い文書というのは、読む側に「もう少し説明がほしいな」と思われることはあっても「もう十分だやめてくれ」とはあまり思われません。失言が深刻な問題になるのはきっと作者の人が「もう十分だやめてくれ」と思っているのに、そこからさらに追撃で否定されたと感じた時でしょう。なので、失言があったときにそのダメージをできるだけ減らす保険のように短い感想は効果を持っていると考えられます。
 僕も文章を書くのでわかりますが、文章を書いていると調子に乗って長い文章を書いてしまうものです。でもひら☆マンの感想のように現実の人間が文章の向こう側にいる場合、長い文章にしてしまうと、文章を書くことに一生懸命になって、危うい内容に気がつかずに書いてしまったり、長文の中で神経を使って疲弊したり、もしくは注意していたはずなのに失言を見つけてかえって自分がダメージを受けたりと、一度調子に乗って文章を長くしてしまうと結果的に自分で難易度を上げることになります。
 そして、なかなか一度そうやって調子に乗ってしまった筆を引っ込めるのは難しいです。なにせ、調子に乗っているとき人は自分が調子に乗っていることが問題なるとは想像しませんから。なので、感想を短くすることは自分で自分のハードルを上げてしまう状況を強制的に防ぐギプスのように考えることができると思います。

 というわけで、一見大きな問題のように見えた3つの問題でしたが、以上をまとめると

●そもそも文章を書くのが難しい→短くすれば段落は考えなくていいし一文の内容が絞れるので文章化が楽。加えて文章の訓練にもなる。
●作品が多い→一つ一つが短ければそれだけ時短で作業量が減るし見通しも楽になる。
●失言と失言を気にすることへの疲れ→だれでも失言はするのでどうせなら全体を短くすることで失言も短くして傷を浅くする。文章を長くするときに失言が増えがちなので文章を意図的に短くコントロールして未然に防ぐ。またそのことで、自分にも安心を与え疲れづらくさせる。

 となります。今回の内容はこれでおわりです。少しは問題が軽く見えてきたような気がしませんか。この内容は料理のレシピみたいなもので、「レシピを見ていたらその料理がしたくなった」というように「この文章を読んでいたらそのやり方で感想が書きたくなった」となってもらえたることを目指しています。きっとそうして本当に感想を書いてもらえたら、それが事前に目標に掲げていた「できるだけ楽をして一回分の感想が書けるようになる展望が持てたら勝利」が達成されたときです。

 というわけで本来ここでおわってもいいのですが、今回は記事タイトルに「ヒント」とあるので、もう少しこの先で僕が実践的に得た考えをヒント的に載せようと思います。
 率直に言って感想を短くすることで問題が解決する、本当かな、と思った人もいると思いますが、中には仮に本当なのだとしても「でも自分はしたくないな」「違う方法をとりたいな」と抵抗感を持った人も多いんじゃないでしょうか。これには「中途半端な説明をしたくない」「わざわざ我慢して書きたいものを書きたくない」という気持ちがあったり、もっと自意識の部分で「短い文章がかっこう悪いな」などと感じられるためだと思っています。
 実はこの文章を短くするというテクニックはこのひらめき☆マンガ教室の主任講師であるところのさやわかさんに個人的に相談したときに教わったことだったのですが、僕は最初は抵抗感があってそのとおりにはできませんでした。しばらくして、自分が一度感想が続けられなくなったとき何か天恵のように、もしかして「感想は短くしよう」といわれた本当の理由は「無理して感想なんて書く必要はないんだ」ということとセットだったんじゃないか、と思い至って理解を得たという経験をしています。
 僕の場合、なにか感想を書くことを重いことのように感じていて続けられなくなったのですが、「そもそも感想はないのが当然で、あるだけでいいものなんだ。感想をやるめことに何の後ろめたさを持つ必要もないのか。」とやめたければいつでもやめていいんだ、と思うようになったら感想を送ることが急に誇らしく思えるようになったのですね。そこで初めて、いつでもやめていい、ということとセットで感想を続けることについて考えるようになりました。
 そのとき初めて、だったら楽をしていいのであればとことん楽をしよう、ミニマムにほとんど手間をかけずに文章が書けたらそれだけ自分が儲けているじゃないか、と感想を短く書くことに舵を切ることができたんだと思います。
 今回はあまり内容として触れることができませんでしたが、かっこう悪いと思って踏み出せなかったことも決して侮れないことだったと思っています。ですが、僕の場合は短い文章しかほとんど書けない自分に対するかっこう悪い気持ちはいまでもずっと持っているのですが、短い文章を公開することに慣れるうちに少しずつ気にならなくなってきました。
 なので、僕から言えることは、僕も感想を短く書くことに抵抗があったけど短い文章を書く自分を許せるようになったら僕はかけた、ということです。ただ、これがなんのヒントになっているのかは自分でもいまいちよくわかりません。たぶん率直さと関係があることなのだと思います。もし次回があれば「率直に書こう」と題してなにか書いてみたいところですね。