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みなが遊び疲れて地球が終わるらしいその時間になると、おのおの本当に自分が大切に思っている人と一緒に息を潜めるように毛布に包まったりしはじめる。実は意外な知り合い同士が恋人だったことなどがわかって少し動揺したりする中、僕は自分が会いたい人が実はその場にはいなかったことを悟り、一人さびしい気持ちで”本当は地球は終わったりしないんじゃないか”と現実逃避的に思い始める。時間が過ぎていき焦燥感がつのっていく。
避難所のようにみなが固まって動かなくなった部屋で、しばらく周りを観察したりしていると、急に、本当に地球の終わりがやってくる。普通なら味わうことのないガクンと下に落ちる感覚がやってきたとともに体が軽くなり、そこにいる全員の体がバラバラになっていく。思念体のような思考だけの状態になって、そのことが不思議と心地よく、となりで自分と同じようにバラバラになっていく人たちを見て、ありがとう、最後に一緒の場所にいてくれてありがとう、と願いながら、こうして感謝しながら死んでいくのなら悪くないかもしれない、と思う。それが自分をおさめるための方便なのか、自分の本心なのかもわからず、しかしそうして消えていくのだった。
そんな夢を見て目が覚める。しかし、地球がおわるのは夢のことではない。
今日は2024年2月9日日曜日。夢の中とは微妙に日時がずれている。テレビをつけてニュースを見ると、地球の終わりのニュースはやっておらず日常が続いていて、雪で降雪車が不足しているというニュースをしている。だが、外を見ると昼2時なのに夕方のような赤と青が混ざった空をしている。宇宙単位の何かどうしようもない現象に地球は巻き込まれてしまったのだ。そして、それが終局を迎えるのが3日後に控えている、と科学者たちの手で予想されている。昼なのに夕方のような空を見て僕は”エヴァンゲリオンでは地球の自転が変化していたけど、現実はあれよりもっとSFだな”と思いながら、家族の顔を見に行く。最期の瞬間の夢を見て無性に母親の顔が見たくなり、いてもたってもいられなくなった。
会いに行くと母が「なにか用事?」とそっけない態度でたずねてくる。「特に用はないけど顔が見たくなって」と言って部屋に入り、兄と母と3人で机を囲む。母が「12日はあんたの前住んでたところに行くよ」と唐突に言う。どういうことだろうと不思議に思うと、僕が以前に住んでいた大学の寮に連れて行くのだという。きっと長年いたのだから最期にいたい場所だろう、と母はいうのだが、ちっともそんなことは思っていない。僕は、今この瞬間、この3人で過ごしているこの時間が大事なだけのに、と思いながら、しかしなぜかそうはいえず、母親の意思を否定できずに最期の日に自分がとくに行きたくもない場所に行く旨を了承してしまう。母親は母親なりに不器用に僕のことを考えてくれたのだろうと思うと無碍にするのも気が引け断れず、しかし、そうやって考え込んで本当の気持ちを伝えられない自分もまた、不器用だと思うのだった。
外を練り歩くと世界は半分くらい終末のようになっていて旅行は少し冒険の色を帯びていた。橋が一部かけていて川をジャンプして渡らなければいけなかったり、知り合いの人が機能しなくなった信号や通れなくなった道のために道案内をしていたりして、普段よりもむしろ世界の温かさを感じるようだった。そうして高校の同級生に会いに行く道すがら、少しワクワクするような、世界が終わることがとてつもなく不安なような気持ちで、「本当は世界は終わらないんじゃないか」と、夢の中で思っていたように再度思う。
まぜこぜになったマンガは以下に載せておきます。たぶん、読むと「あー、なるほど」となるのではないかな、この夢の内容が上の文章で伝わっていればだけど。
それと、夢で影響を受けているって実際に感想を抱いていることの証拠だなと思いました。結構、感想文を書くときって自分でも「こうは書いたがはたして本当だろうか」と思うことも多いのですが(実際それで取り下げることもある)、夢で見たとなると、自分でも証拠のように感じられて信頼しやすいなと。そんなことも思います。
(しかし、夢の中で出てくる昼間に夕方みたいな空、って本当は現実では極付近では白夜は日常なはずで、それだけでは地球は終わらない気がするんだけどな。まあ細かいことはいいか。)
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マンガは3巻くらいまで読んで、どうやらこのお話は冗談ではなく地球が終わるらしい、という引きまで読んで終わっている。そこで読むのをやめているせいで中途半端に恐怖感を煽られている感は否めない。映画は見てないけどツイートで好意的な反応が複数流れてきているので、それでより影響されている。
●藤原ハルさん「明日世界が終わる世界」
yawaspi.com 藤原さんの作品のことは今週はずーっとベスト25企画で考えていたので、世界観としてもろに影響が出た。冒頭の夢の中の夢の若者が登場する世界観は完全に藤原さんの世界観だったように感じる。でも、この「明日世界が終わる世界」はそんなになにか考えたつもりではなかった作品だったので、夢を見て、自分がそれなりに考えていたらしいことに気づいて自分でもびっくりした。…と書いてて恥ずかしくなっていきた。
●まえだ永吉「能登半島地震体験期」
【能登半島地震体験記】(1/11)#令和6年能登半島地震 #コミックエッセイ #漫画がよめるハッシュタグ pic.twitter.com/1EcMLR2ZUb
— まえだ永吉 (@eikiccy) 2024年3月29日
昨日読んだマンガ。いいマンガだった。シリアスな内容が気軽に読めるようになっている前向きになれる内容。でも、きっと僕はそれでも「怖い」と思ったんだろうな。そういう自分の臆病なところが今回の夢にはよく現れているように思う。夢の中の同じ部屋にいる人たちが毛布に包まって静かに息を潜めている光景は、このマンガを読んで(このマンガではかかれていないのに)自分が逃れたいと思うシュチュエーションとして想像してしまったことなんじゃないかと思う。
●武七さんのユーチューブ
www.youtube.com
3月半ばに体調を崩していたときに気を紛らわすために見ていた、ひたすら雪かきをする映像を投稿しているチャンネル。当時、苦しいのになかなか寝付けず、その時にこのチャンネルをBGMとして流して放置することが一番ストレスがなくて安心できた。ニュースをつけたときの報道の雪景色はそのまんまこのチャンネルの映像だった。
●アーサー・C・クラーク「幼少期の終わり」
今回の夢の中の夢で、急に重力がなくなって体がバラバラになっていく、というのはもろ「幼少期の終わり」のエンディングだった。この作品は2年位前に大井さんのコミックガタリーで「SF読むならこれはよんどけ」という紹介を間に受けて読んだのだけど、予想外に影響を受けてしまった。自分にとっては怖いお話なのだけど不思議と惹かれてしまって、実際、今でもよくこの作品のことは考えている。
●創作文芸サークル「キャロット通信」の崩壊
to-ti.in これも昨日読んだマンガ。昨日読んだマンガが多いな?このマンガで飛行機事故に遭遇するシーンがあるんだけど、この作品では、死ぬかもしれない状況で人が本当は何を考えるか、が中心のテーマになっている。この作品を読んで「その状況で”創作”がキャラクターの頭をよぎることになにか脚本の恣意性を感じるような」と思ったところがあったのだけど、僕が夢の中で、一緒にバラバラになっていく隣人を見ながら感謝する、というくだりは、僕からのなにかこの作品への反論のようにもなっている。(僕って夢の中でも作品の反論とか考えているくらいにはいつもそういうことばかり考えている。)たぶん、重力が夢の中で登場したのはこの作品の影響。夢の中で破局を迎えるシーンで重力がおかしくなる、っていう想像力は現実で言うと飛行機に乗っているときに起こる感覚から来るはずのものだよね。…念のためこの作品について言っておくと、個人的には同意しづらいところもあるけど、でもワナビー的な人たちの感覚に寄り添おうとしているところを評価していいマンガだと思う。
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今回の夢の、夢の中で重力の崩壊する中隣人に感謝する、のアイデアは完全にこの作品の影響。今回の夢がSFだというところに影響を感じる。死に行く人たちが最期になにをするのか、ということを描くことの美しさを信じられるのはこの作品のおかげなのかもしれない。(本当は創作の世界ではよくあるパターンのヤツだとは思うんだけども。)言われてみれば無意識にたまに取り出して考えていた作品だったけど、まさか夢にまで影響が出てくるとは思っていなかった。個人的に、大井さんからの影響はマンガよりもガタリーでの語りが強いように思っていたけど、大井さんの作品からもしっかりなにか受け取っているらしいことに気づいて、ちょっとうれしかった。…これもなんだか気恥ずかしい。
以上、放出終了!