玄関先の言葉置き場

主にひらめき☆マンガ教室の感想用。メッセージ等はおたよりフォームへいただければ、配信でお返事します。

さやわかのカルチャーお白洲の文字起こしをした

2020年12月29日にシラスチャンネル「さやわかのカルチャーお白洲」でおこなわれた「『おたよりコーナー』 #1」の、カラメルさんのおたよりとそれに対するさやわかさんの回答を文字起こししました。当該の配信(「おたよりコーナー」 #1 さやわかのカルチャーお白洲 | シラス)で1時間44分から2時間2分で話されている部分です。以下カラメルさん(大塚のシラス名)のおたよりとさやわかさんの回答です。

 

2020_12_29 カルチャーお白洲「おたよりコーナー」#1 カラメルさんおたより返信文字起こし.pdf - Google ドライブ

カラメルさんおたより

 さやわかさんこんにちは、カラメルです。今回は僕がひらめき☆マンガ教室に感想を送っていることについて相談があっておたよりを送りました。
 以前、たしか、このカルチャーお白洲の創作についての突発雑談放送で、さやわかさんが「教室の作品に感想が送られることは大変ありがたい。生徒の皆さんは課題を提出すればいいと思っているみたいだけど、本当は作品を描いているという意識こそが必要で、その意識がまだ全然足りていない。」という趣旨のことお話ししていたと思います。それを聞いて「では僕のような者は作品の感想をバンバン送るべきだな。」と思いました。
 だったのですが、いざ感想を描いてみようとすると、感想を描くためのエネルギーがまだ僕の中に充填されていないことを感じます。自分なりに感想を描くべく力を蓄えているところなのですが、まだ足りていないようです。このままだと一回感想を書いてはインターバルがあって、ゆっくり感想を描いてまた休憩、となりそうでちょっとまずい気がしています。もっとシャキシャキいきたいところなのですが、自分一人で頑張ると考えると、これ以上元気にやるのは難しそうです。
 感想を描いて、基本的には本人向けに発信するという場合、感想を発信するにはどんな工夫を凝らすとよいのでしょうか。
 というわけで、ひらめき☆マンガ教室に感想を送っている僕に、なにかさやわかさんから激励などもらえないでしょうか。

 


さやわかさん回答

 ありがとうございます。すばらしい、すばらしさしかないおたよりですけど。ただ、感想を書こうとすると、何か、すごくエネルギーが必要だということは、これすごい重要なことなんですよ。なぜなら批評というのがそういうものだから。
 僕は基本的にひらめき☆マンガ教室についての感想というのは、なんでもいいと思っています、まず、大前提として。なんでかっていうとマンガ読んでる時なんかそんなこと考えないでしょ、へへ。よく僕がひらめき☆マンガ教室の中で言っているのは「漫画なんて立ち読みとかされるんですよ。パラパラパラって」ってこと。みなさんも自分のマンガを読まれている時の自分をメタ認知的に客観的に捉えていただければと思うんですけど、漫画をパラパラパラっとめくっていて、「なんかわかんないな、おもしろくない、疲れた。」っていって読むのをやめたりするでしょ。雑誌を閉じたり、アプリを閉じたりするじゃないですか。あれがマンガですよ。(このおたよりの前に配信の中で)さっき、パクリ指摘の話があったけども、ああいうのも含めて言われるのがマンガなんです。これは別に子どもが読むとかいう問題ではないです。マンガっていうのは速度のメディアです、実はね。マンガっていうのは読み飛ばしたりされるメディアなんですよ。そこが大事だと思います。

 よく、ゲンロンみたいな場所でマンガ教室を始めますっていうと、「小難しい漫画を描かせて精読みたいなことをさせるような、そういうことを尊いと思って、やるんですよね。」って言う人がいます。でも、そこで思われていることは全然マンガの本質ではない。そういう読み方があってもいいけど、それを求めていくっていうのは漫画全体からすれば傍流も傍流。ひらめき☆マンガ教室はマンガの本質を捉えていく。それはなにかっていうと、「スピーディーに読まれること」ですよね、まずは。そして「読んだ人は気軽に感想を言う」っていう。それが大事です。だから、僕がみなさんにもひらめき☆マンガ教室の感想を言っていただきたいってことをいうとき、みなさんはもう何を言ってもいいと思っています。「なんかよくわかりませんでした。以上。」でいいんですよ。
 で、そういうときに、受講生とかは特に、ゲンロンみたいな場所でやっている教室の受講生という立場の人たちは、こういうんですよ。「こいつはおれのことを分かっていない」って。でもそれはダメ。漫画っていうのは分かってもらうためのメディアです。もしそういうつもりだったら一枚なるべくでかい絵を描き、それをホワイトキューブ(美術館)で展示する方がいい。そうすれば外から人がやってきて、その絵を解釈しようとして前向きになってくれます。でもマンガっていうのはそういう媒体じゃない。一個、自分が書いたものがコピーがつくられて、複製され伝播していってしまうもの、自分では制御できないものなんですよね。これはひらめきで10年以上いっていることですけども、「他人のものになってしまう」っていうことが漫画の本質なんですよ。なので「俺のことが分かっていない」とか「お前に感想を言われたくて俺は書いているわけではない」みたいなことを言う受講生がいるとしたら、それは間違っています。それはマンガというものを捉え損なっていて、その人にとってのマンガというものがあまりにも狭い。もしそう言いたいのであれば「俺が言っているのはおまえのいう、その”マンガ”ではなくこの”マンガ”なのだ」みたいな、一個、自分に対して批判を繰り広げることがよくないことなのだと説明するための防壁をクッションとして、ワンクッション置いて作らなくちゃいけない―それは批評も完全に同じことがありうるのだけど。それをやんないで「私、別にそういうことではないんで」みたなことを言えないんですよ、漫画を描く人っていうのは。だから漫画の感想というのは何を言ってもいいんです。

 いいのですが、ここからが重要で。いや、ここまでも重要なんだけど、ここからも重要で。じゃ書く方っていうのは。まさにこのおたよりでカラメルさんが書かれているように―漫画に限らずですがこれは―「基本的には本人向けに感想を向けて発信するという場合」に、つまり、本当にそこに読む人がいるんだと感じながら何かを書く場合に、なにかものすごい重さを感じるんですよね。でも、書くことに責任を持つというのはそういうことなんですよ。
 どこのだれがかいたかわからないマンガがSNSとか雑誌でパーって流れてきたときに、このマンガ嫌いだとかこのマンガおもしろいとかって思うじゃないですか。でも、それは誰かが読むっていうことを考えながら書くっていうことによって、僕がやっている批評とかそういう行為に近づいていくんですよ。そして、自分が何故その感想を抱くに至ったかっていうことを説得的に説明するんですよ。だから、僕の批評の定義っていうのは「ある事象を人の営みと捉え、それについて積極的に語る行為」っていうのが、僕の批評に対する定義。説得しなきゃいけないんですよね。つまり、どうかすると「面白くなかった」っていうことを説得しなきゃいけないんですよ。そのためには、ちゃんとした手練手管を踏まえなきゃいけなくって、だから、ハードルが上がっていくんですよね。
 たぶん、カラメルさんもそうだと思うんだけど「全然足りていないや自分は」と思ってハードルが上がっていって、インターバルが発生する、みたいになるでしょ。そこでね、そこでもう一つものすごく重要なこととして、しかし、これはアウトプットすることが大事なんですよ。なぜかっていうとアウトプットしないとあいつら(受講生)は大量に作品を繰り出してくるわけじゃん。それに受け止めた側が何らかのことを思ったのであれば、呼応していくしかないよね。

 じつは、ひらめき☆マンガ教室の教えでは、受講生にも、「とにかく完成させることが重要だ」っていうことを、しつこくしつこく言っているんですよ。マンガっていうのは完成させないとゼロ。感想を書く側とは逆にマンガを描いている受講生の側もそれぞれハードルが上がっていっているんですよ。最初の課題はみんなすごくいっぱい描けるんだけども、どんどん描けなくなっていくんですよ。それはなぜか。それは伝えるということがすごく難しいことだということに気づいていくからなんですね。なので、どんどんハードルが上がるんだけども、この間も、つい2、3週間くらい前にやったひらめきマンガ教室の、振り返りの授業―「これまでの講義をふりかえって」っていう僕が一人でやるすごい重要な講義があるんだけど―そのときに言ったのは、「皆さんはなんでマンガを完成させられなくなるのか」っていう話をしたんだよね。それは、みなさんがハードルどんどんあげていっているからで、しかし、漫画は、メディアの持ってる条件として”完成させないと無意味”だっていう。だから、下手でもいいから、相手に対して伝えきれなくてもいいから、完成させなきゃダメ。とにかく完成させる。っていうことをこないだの講義で言いました―そろそろみんなドンドンうまく完成させられなくなっていくからね。 そうじゃなくて、「あなたがやらなければけないことは、もちろんマンガがうまくなっていくことは大事なんだけども、半年かかって8ページ描けましたとかじゃ全然ダメ、半年かかって16ページとかじゃなくって、一か月に16ページ描きましょうってことになっているから書きましょう。」っていうことをしつこく言うんですよ。

 なので、…そうね。ちょうどいいんで、スライドがあるんでお見せします。このあいだのひらめき☆マンガ教室の講義で使ったスライドの一部をお見せします。

 

1.マンガを描く

2.時間内に完成

3.読者のことを考える

下に行くほど難易度が高いのです。

 

 こないだやった講義―12月の6日ってなってますけども―過去やった、10月と11月と12月にやった「着想編」っていうのがあって、それぞれ武富健治さんと師走の翁さんと慎本真さんの講義がありました―慎本さんの講義も素晴らしかったですね。これはなにをやっていたのかっていうと、まずは「漫画を描きましょう」そしてそれを「時間内に完成させましょう」―ほらちゃんと書いてあるでしょ―、そして「読者のことを考えましょう」とあります。この話ってのは、つまり、漫画の文法を使って、相手に伝えられるような状態を作ろうっていうのが着想編、最初のパートだったんです。ただし、下に行くほど難易度が高い。

 さっきもいいましたけど、受講生はね、この「マンガを描く」をやり始めると、漫画を描く技術力のことばっかり考えるようになる。「どうやったらマンガがうまくかけるんだろう、イエー嬉しい~」みたいになって、そうすると時間が無限にあると思い始めるのね。「完成しなかったんだけど、これは私がいい感じのことをもうちょっとやろうと思ったからなんです。そのいい感じの技術力、今回は提出できませんでした。」みたいになるんだけど、実は「マンガを描く」ことよりも、「時間内に完成させる」ことのほうが難しいのね。そして、それよりも「読者のことを考えて描きましょう」のほうが難しいんですよ。でも、重要度から言うと下から順に321の順で重要なのね。漫画を描くことは条件じゃん。普通のしゃべりましょうみたいなことだから。自分一人しか読者がいなければ簡単なことなんですよ。どれだけでもかけます。途中でやめてもいいし一年間かけて8ページとか16ページでもいいわけです。でもそうではなくって、「確実に締め切りまでに誰かの元に届けたいみたいなキモチを大事にしてくださいね、そういうものがマンガです。」というお話なんですね。

 はなしがもどっていくわけなんだけど、さっきのカラメルさんのおたよりでいうと、「自分なりに感想を描こうと思って力を貯えているところなんだけど、まだ足りていないようで、このままでは一回感想を書いてはインターバルがあって、ゆっくり感想を描いてとまた休憩となりそうで、ちょっとマズイ気がしてます。」と書いてあるんだけど、マズイんですよそれは。だって、あいつらに「次々に作品を送れ」って僕は言ってるわけだから、あいつらの作品量に、それを受け止める人間が立ち向かうには、こっちも、色んなことをショートカットしていくべきだよね。適当に書けって言ってるんじゃないです。例えば、絶対にツイッターの投稿一個分しか書かないとかね。すると、全部書いたとしてもせいぜい3000字くらいですか、30作品あったとしても。その程度で終わる。
 なので、今回のおたよりの僕からの返事は、ものすごく平たく言うと手を抜く方法を考えるということです。これは教室の受講生にも教えていることです。どうやって手を抜くか考えるためには、まずしっかり書かなきゃいけない。しっかり書いたうえで、手を抜く方法を考えると。そんな回答になります。

 

2022_05_10 見づらかったのでフォントと数字の全半角を変更しました。